RDS-6

RDS-6ロシア語: Реактивный Двигатель Специальный, Reaktivnyi Dvigatel Specialniy; 「特別な ジェットエンジン」、または ロシア語: Rossiya Delayet Sama;「ロシアは自力で成し遂げた」、または ロシア語: Reaktivnyi Dvigatel Stalina; 「 スターリンのジェットエンジン」)は、 1953年 8月12日に実施された ソビエト連邦初の 核融合兵器実験 [1]アメリカ合衆国が付けた コードネームJoe-4Joe-1からの通し番号)。

概要

RDS-6は真の 水素爆弾ではなく、 メガトン級の 核融合兵器というよりは、 ブースト型核分裂兵器であった [1]。これは核分裂燃料と核融合燃料を互層で配置したもので、スロイカ型( ロシア語: Слойка、階層 ケーキ型の一つとして後で名付けられた)としてソビエトでは知られていた。RDS-6では、ウラン235をコアとし、重水素化リチウム6、さらに天然ウランで覆ったものとされる [1]。同様のデザインは、アメリカでもアラームクロック型として理論立てられていたが、実際にテストされる事はなかった。

ソビエトの熱核爆弾開発では、初期には2種類のデザインが研究されていた。その一つはスロイカ型(RDS-6s)で、もう一つはツルーバ型(RDS-6t)である。ツルーバ型は2段階方式の核融合兵器で ガンバレル式爆弾のプライマリーとアメリカと同様に 重水素- 三重水素の核融合のセカンダリーを使用するクラシカルスーパー方式であった。しかしながら、 1952年にアメリカが マーシャル諸島で核融合装置の実験( アイビー作戦)を行なうと、それに対抗するためにスロイカ型がより有効であると考えられ開発の優先権が与えられた [2]

RDS-6は 核出力400 キロトンで爆発実験がなされた(30mの鉄塔上に設置)。ソビエトの物理学者 ユーリ・ハリトンは、RDS-6の核出力のうち15から20%が核融合、残りは核融合で放出された 中性子により威力が増強された核分裂反応によるものと見積もった。しかしスロイカ型は単段階反応の核兵器であり、真の水爆の様に、多段階反応により核出力が増強させることはできない(核融合兵器との違いの詳細は テラー・ウラム型を参照のこと)。

RDS-6は真の水爆では無かったにもかかわらず、ソビエトの外交宣伝によってその威力はメガトン級にまで誇張された。ソビエトは、アメリカ最初の熱核兵器とは違った型の水爆を配備したと主張した(例えば、 爆撃機からの投下も可能ということなど)。このソビエトの主張にもかかわらず、アメリカの専門家はRDS-6が真の水爆かどうかを論議した。アメリカは1954年までは配備可能な水爆を開発することができなかったが、スロイカ型が本格的に配備される事も無かったのである。

ソビエト最初の真の水爆実験は、1955年11月22日に実施された RDS-37であり、RDS-6を含めてこれらは全て カザフスタンセミパラチンスク核実験場で行われた。

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