1.FCケルン

1.FCケルン
原語表記 1. FC Köln
愛称 Die Geißböcke
クラブカラー 赤と白
創設年 1948年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ケルン
ホームスタジアム ラインエネルギーシュタディオン
収容人数 50,400
代表者 ドイツの旗 ヴェルナ-・シュピナー
監督 ドイツの旗 シュテファン・ルーテンベック
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート( ノート) サッカークラブPJ

1. FCケルン(エアステ エフツェー ケルン、1. FC Köln)は、 ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ケルンに本拠地を置く サッカークラブ。

1963年に発足した ドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、1977-1978 シーズンには、日本人海外移籍の先駆者 奥寺康彦が活躍しリーグ優勝に貢献した。

クラブの歴史

約1100のサポーターズクラブがあり、52000人の ソシオを抱えるケルン最大級のスポーツクラブ。1948年に「ケルナーBC 07」と「SpVggズルツ 07」の合併により誕生。

ブンデスリーガ発足後初の王者。 ハンス・ヴァイスヴァイラー監督時代の1977-78シーズンにはブンデスリーガと ドイツカップの2冠を達成した。

Fans 1 FC Köln2

1960年代

1960年、1962年と1963年にはドイツ・サッカー選手権(ドイツ・ブンデスリーガの前身)で決勝戦に進出し(1962年には優勝)、1968年にはドイツカップで優勝、ドイツ・ブンデスリーガが発足した1963-64シーズンで初代王者に輝き、翌年のUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)では準決勝進出するなどドイツ屈指の名門として名声を築く。クラブ組織をイングランドのクラブをモデルとしたものに改革し、ドイツ初となるプロ選手のサイドビジネスと現役引退後の仕事の手配を行い、ドイツで初めてGKコーチを雇い、当時としては画期的であったクラブハウスと練習場を建設するなどフランツ・クレーマー会長の下、ドイツで最もモダンで模範的なクラブに成長する。攻撃の中心選手はドイツを代表する選手の一人である ヴォルフガング・オヴェラートであった。

1970年代

バイエルン・ミュンヘンボルシア・メンヒェングラートバッハの2強時代の始まりにより、常に優勝争いには絡むもののなかなかタイトルを獲得することはできなかった。しかし ヘネス・バイスバイラー監督が就任すると1977年にはドイツカップでの優勝を果たし、1978にはブンデスリーガとドイツカップの2冠を達成。UEFAチャンピオンズカップでは再び準決勝進出を果たす。 また、後に FCバルセロナレアル・マドリードアトレティコ・マドリード でゲームメーカーとした活躍した ベルント・シュスターや1990年の イタリアワールドカップで優勝、1982年の スペインワールドカップと1986年の メキシコワールドカップで準優勝した ピエール・リトバルスキーに代表されるように1970年代の終わり頃からは多くの将来が有望される選手がプロデビューを果たすようになった。

1980年代

1981年には UEFAカップで準決勝に、1986年には決勝に進出し、1983年にはドイツカップで優勝するものの徐々にバイエルン・ミュンヘンとの財政面での違いなどが大きくなり始め、必ずしも優勝争いに顔を出すチームではなくなり始める。クラブ内の衝突なども数多く起きるようになり、1985年にはピエール・リトバルスキーが選手を代表して当時の会長を公の場で痛烈に批判しクラブを退団、 ハラルト・シューマッハーも当時の西ドイツのサッカー事情をとりあげた内部告発本 『開始の笛』(原題:AnpfiffISBN 978-3426262986)を出版。スキャンダル的な内容から ドイツサッカー協会(DFB)から国内永久追放の処分を受けるなどピッチ外でもメディアを騒がせるクラブの代表格となる。1986年には2部に降格しそうになるなどピッチ上でも結果を残せないようになっていた。しかし1986年の10月にコーチであった クリストフ・ダウムが監督に就任するとチームの成績が改善し、ブンデスリーガでは3位、準優勝、準優勝、UEFAカップでは準決勝に進出するなど好成績を残す。

1990年代

1990年の イタリアワールドカップ中に1980年代後半に好成績を残していたクリストフ・ダウムがクラブ内の政治争いにより解任されると再びチームの結果は下降線を辿るようになる。バイエルン・ミュンヘンのみならず ヴェルダー・ブレーメンボルシア・ドルトムントシャルケ04などにピッチ上での結果やクラブの財政面で追い越され、徐々に強豪の地位を失った。多くの選手や監督が毎年のように入れ替わるようになり、1997年以降はヨーロッパカップに出場することも出来なくなる。1998年にはクラブの歴史上初となる2部降格が決定した。

2000年以降

1999-2000年シーズンに ブンデスリーガ2部で優勝を果たし、再びブンデスリーガに昇格するものの、8年間で3度の2部降格と3度の1部昇格を経験する。 このようなドイツを代表する名門クラブとしては長期低迷するチーム状態とは裏腹に地元での人気は高く、昇格シーズンでもありシーズンの終わりには再び降格することになった2005-06シーズンでも、ブンデスリーガ1部で5位に入る4万9,000人弱の平均観客動員を記録。その後の2部での2度のシーズンでも共に平均4万人を超える観客を集め、2シーズン連続のブンデスリーガ2部での平均観客動員1位のクラブとなった。なお1. FCケルンは、2部に降格したその他の2000年代のシーズン(1999-00, 2002-03, 2004-05シーズン)においても、ブンデスリーガ2部1位の平均観客動員を記録している。

2007-08シーズンは ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチパトリック・ヘルメスのコンビで37得点を挙げ、ノヴァコヴィッチは得点王に輝いた。ブンデスリーガ2部で ボルシア・メンヒェングラートバッハホッフェンハイムに次ぐ3位となり、3シーズンぶりの1部昇格を果たした。17得点を挙げたエースFW パトリック・ヘルメスバイエル・レバークーゼンに引き抜かれたが、FW マナセー・イシアクを後釜として獲得し、DF ピエール・ウォメ、MF プティなど1部の常連を獲得した。2008-09シーズンは残留争いとは無縁のシーズンを過ごし、12位に入った。

2009年夏、 ミハエル・シューマッハなどの熱烈なファンが募金活動を行い、かつてのエースFW ルーカス・ポドルスキの復帰を実現させた。MF マニシェなどを加えた中盤も選手層に厚みを増したが、 2010年10月に2009年に招聘された ズヴォニミル・ソルド監督が解任され、それまで同クラブのセカンドチームの監督を務めていた フランク・シェーファーがトップチームの監督に昇格した。

2011-12シーズンに1部17位となり、2部に降格した。

2014年4月21日、3試合を残して2部で優勝を決め、3シーズンぶりの1部復帰が決定した。

2016-17シーズンは最終節の勝利で ヘルタ・ベルリンSCフライブルクをかわし、5位でフィニッシュ。ブンデスリーガが現行の制度になった以降ではクラブ史上最多の勝ち点49を獲得し、1991-92シーズン以来25年振りに UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得するなど、かつての古豪の復活を予感させるシーズンとなった。

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