神武天皇即位紀元

神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)または神武紀元は、『日本書紀』の記述をもとに設定された日本紀年法である。古事記日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位は、日本書紀に「辛酉の年」とある。それが、江戸前期の暦学者渋川春海の編纂による「日本長暦」において(西暦でいう)紀元前660年と比定され、また渋川の推理による当時の暦[1]によるその1月1日が、現在の暦(グレゴリオ暦)の2月11日と比定されたものが、そもそも神代のことであり、特に改める必要もないとしてそのまま通用している(詳細は注および後述)[2]。この即位年を明治に入り神武天皇即位紀元元年と制定した[3]

異称は皇紀(こうき)、即位紀元皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、日紀(にっき)[4]等。

西暦2018年(本年)は、神武天皇即位紀元2678年に当たる。

概説

インドネシアを占領した日本軍により発行された身分証明書。発行日以外に軍政部之印で皇紀2602年(西暦1942年・昭和17年)が使用されている。

神武天皇即位紀元は、キリスト紀元(西暦)に換算して紀元前660年とされている。明治5年(1872年)の太陽暦導入と同時に、神武天皇即位を紀元とすると定められた。暦の販売権をもつ弘暦者が改暦に伴い明治6年(1873年)に作成した『明治六年太陽暦』の表紙には「神武天皇即位紀元二千五百三十三年」が使用されている[5]

日本の紀元を初代天皇神武天皇の即位に求めること自体は、古代の『日本書紀』編纂以来、一般的な認識であった。ただし、それが何年前か定量的に求められたのは江戸期であり、制定は明治期である。

戦前第二次世界大戦前)の日本では、単に「紀元」というと即位紀元(皇紀)を指していた。条約などの対外的な公文書には元号と共に使用されていた[6]。ただし、戸籍など地方公共団体に出す公文書や政府の国内向け公文書では、皇紀ではなく元号のみが用いられており、皇紀が多用されるようになるのは昭和期になってからである。他に第二次世界大戦前において神武天皇即位紀元が一貫して用いられていた例には国定歴史教科書がある。

戦後(第二次世界大戦後)になると、単に「紀元」というと西暦を指す事も多い。現在では皇紀を見る機会はほとんどなく、日本政府の公文書でも用いられていないが、日本における閏年の算定方法は、1898年(明治31年)に神武天皇即位紀元を基に定めた「閏年ニ関スル件」(明治31年5月11日勅令第90号)が根拠となっている[7]

その他、一部の日本史日本文学などのアマチュア愛好家、神道関係者、全日本居合道連盟などが使用している。

CIA(アメリカ中央情報局)のウェブサイトにある『ザ・ワールド・ファクトブック』(The World Factbook)のうち、「独立」(Independence)の項目では、日本国憲法施行1947年(昭和22年・皇紀2607年)5月3日(3 May 1947)と、大日本帝国憲法の施行日1890年(明治23年・皇紀2550年)11月29日(29 November 1890)が独立日として記されているが、同時に、神武天皇に基づく紀元前660年(660 B.C.)が伝承的日付(traditional date)として併記されている[8]

神武天皇は古代の人物であるが、歴史学的には3世紀に即位したとされる応神天皇以前の初期の天皇の実在性は不明確である。古墳の出現年代などから考古学上はヤマト王権の成立は3世紀前後であるとされており、神武天皇が紀元前660年に即位したことが事実であるという一致した見解は成立していない。なお、日本政府質問主意書に対する答弁書で『「辛酉年春正月庚辰朔」は、暦学上、紀元前六百六十年二月十一日に当たる』としている[9]考古学的には、紀元前660年は伝統的な土器様式などに基づく編年によれば縄文時代晩期、2003年(平成15年)以降に国立歴史民俗博物館の研究グループなどが提示している放射性炭素年代測定に基づく編年によれば弥生時代前期にあたる。

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