神奈川県

かながわけん
神奈川県
KamakuraDaibutsu3947.jpg
国宝・ 鎌倉大仏
神奈川県旗  
Emblem of Kanagawa Prefecture.svg
 
神奈川県旗 神奈川県章
日本の旗 日本
地方 関東地方
団体コード 14000-7
ISO 3166-2:JP JP-14
面積 2,416.18 km²
総人口 9,159,692
推計人口、2017年5月1日)
人口密度 3,790人/km²
隣接都道府県 東京都山梨県静岡県
千葉県(海上を隔てて隣接)
県の木 イチョウ
県の花 ヤマユリ
県の鳥 カモメ
他のシンボル 県の色:かながわブルー [注釈 1]
県民歌: 光あらたに
神奈川県庁
知事 黒岩祐治
法人番号 1000020140007
所在地 231-8588
神奈川県横浜市中区日本大通1番
北緯35度26分51.9秒東経139度38分33.1秒 北緯35度26分51.9秒 東経139度38分33.1秒
神奈川県庁
外部リンク 神奈川県
神奈川県の位置

神奈川県行政区画図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/神奈川県
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神奈川県(かながわけん)は、 日本の一つ。 関東地方の南西端、 東京都の南に位置する。 県庁所在地横浜市。県名は 東海道筋に古くから栄えた 宿場町 神奈川宿(現・横浜市 神奈川区)、および 幕末戸部町(現・横浜市 西区紅葉ヶ丘)に置かれた 神奈川奉行所に由来する [1]。これら「神奈川」の由来は、 京急 仲木戸駅近くに流れていた長さ300 mほどの小川の名前からで、現在は道路になっている [2]

都道府県別の人口東京都に次ぐ第2位 [3]人口密度東京都大阪府に次ぐ第3位。 県内総生産東京都大阪府愛知県に次ぐ第4位 [4]。県内の 政令指定都市数は3つと日本最多。 面積は第43位の規模である [5]

概要

神奈川県は、 関東地方の南西部に位置する県で、元の 相模国全域と 武蔵国の一部に当たる。県の人口は9,159,692人(2017年5月1日現在) [6]で、総人口の約6.9%を占め、面積は2416.18 km2で、国土の約0.6%を占める [5]

県内の 市町村数は33で、うち は19、 は13、 は1( 愛甲郡 清川村)。県内の 政令指定都市横浜市川崎市相模原市の3市、 中核市横須賀市の1市、 施行時特例市小田原市大和市平塚市厚木市茅ヶ崎市の5市である。

県東部の 横浜市川崎市は、 都市化工業化が進んでおり、 東京湾に面した 京浜工業地帯の一角を形成する。県西部は緑豊かな 丹沢山地から 足柄山地箱根山が連なり、 酒匂川が流れる 足柄平野には 小田原城城下町小田原市が開ける。県中央部は 相模原市海老名市などの平野部で 都市化工業化が進んでおり、 相模川が流れ 平塚市から 相模湾に注ぐ。県南東部は、海沿いに 茅ヶ崎市藤沢市が開け、 鎌倉幕府が置かれた 鎌倉市から、 明治以来の軍港都市・ 横須賀市がある 三浦半島にかけて、 三浦丘陵が連なる。

県域は、古くは 相模国の中心である相模湾沿岸部と相模川流域部が栄えた。 川崎市と横浜市の大部分を占める 武蔵国の領域は、古東海道( 矢倉沢往還)沿いと東京湾沿岸を中心に小規模な農漁村が形成された。相模 国府は所在地が特定されていないが、平塚市、 大磯町、海老名市、小田原市に置かれていたという説がある。

平安時代から 武士団の活動が活発化し、末期には 征夷大将軍源頼朝により 鎌倉鎌倉幕府が置かれた。 鎌倉時代の始まりである(開幕の時期は諸説あり)。鎌倉には 鶴岡八幡宮を筆頭に神社仏閣が多数建立され、 鎌倉五山も整備され、武士の都として君臨する事となる。その後、執権 北条氏によって運営された鎌倉幕府は 元寇の恩賞を分け与えられず、全国的に反乱を招く。幕府自体も 新田義貞の鎌倉攻めにより滅亡。 足利尊氏による 室町時代へと時代は移る。室町時代には 鎌倉公方が東の将軍府として置かれるも、 政権争いが絶えず、最終的に 鎌倉 公方茨城県 古河に移り 古河公方となり、武家の都・鎌倉の終焉を迎える。その際に鎌倉の街並みも破壊され、現在に至る街の連続性は失われた。

戦国時代には 北条早雲が相模・伊豆を切り取り、日本最初の 戦国大名となる。その後5代に渡り名君を出した 後北条氏の拠点である小田原は隆盛を誇り、 関東制覇に邁進した。当時の 小田原城下の発展は西の 山口に対し、東の 小田原と迄言われた。 日本最初の 上水道も、この時代に整備された。しかし 羽柴秀吉の快進撃の前に降伏を余儀なくされ、戦国大名としての北条氏は断絶に至った。秀吉の全国制覇の際、北条氏の領土は 徳川家康に移り、家康は拠点を小田原から 江戸に移した。その後 江戸時代には 江戸幕府の置かれた江戸への交通路として東海道が整備され、東京湾沿岸部の開発が進んだ。県域には幕府直轄の 代官支配地と 旗本御家人の所領が多く配された。江戸時代中期以降、県域内に本拠を置いた 大名領( )は西部の 小田原藩(小田原市)及び規模の小さい2藩( 荻野山中藩(厚木市中荻野)、武蔵金沢藩( 六浦藩、横浜市金沢区))のみであるが、一方で県域外に本拠を置く大名の 飛地領が多く置かれ( 烏山藩栃木県 那須烏山市)、 佐倉藩千葉県 佐倉市)、 西大平藩愛知県 岡崎市)など)、県域内の支配はモザイク状に細分されていた。 幕末には 横浜港が開港され、 明治時代に入ると東京湾沿岸部を中心として発展した。

戦前・戦後を通じて、 京浜工業地帯周辺における商工業の発展と 東京一極集中に伴う ベッドタウン化などにより人口も増加したため、県内には過疎地域自立促進特別措置法によって指定された 過疎地域が長らく存在しなかった。しかし、 2017年 3月31日付で 足柄下郡 真鶴町がそれぞれ過疎地域に指定された [7]。また、後述( #人口)のように横須賀市や小田原市、 三浦市など人口の停滞ないし減少が顕著な地域もあり、また 足柄上地域などに 中山間地域を抱えている点に他都道府県と変わりはない。

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