大ブルガリア (中世)

大ブルガリア
Стара Велика България
632年 - 668年第一次ブルガリア帝国
大ブルガリアの国旗
(国旗)
大ブルガリアの位置
中央の黄土色が大ブルガリア(650年頃)。
西の赤色がアヴァール可汗国、南の紫色は東ローマ帝国、東の濃い青はハザール汗国、その東の薄い青は西突厥
首都ファナゴリア
ハーン
632年 - 665年クブラト(初代)
665年 - 668年バトバヤン
変遷
成立632年
ハザールによる征服668年
ブルガリアの歴史
Coat of arms of Bulgaria.svg
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オドリュサイ王国(460 BC-46 AD)
トラキア
大ブルガリア(632-668)
第一次ブルガリア帝国(681-1018)
第二次ブルガリア帝国(1185-1396)
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民族覚醒(1762-1878)
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大ブルガリア(だいブルガリア)、または古い大ブルガリア(ブルガリア語:Стара Велика България / Stara Velika Balgariyaギリシャ語:Παλαιά Μεγάλη Βουλγαρία)は、東ローマ帝国の歴史書に登場する用語で、7世紀のクブラト(Кубрат / Kubrat)によるヴォルガ川下流からドニエストル川までの範囲のカフカース山脈北部・ステップ地帯の支配を指し示す[1]オノグリア(Onoguria / Onoghuria)とも呼ばれる。

クブラト

クブラト(クルト Kurt あるいはフヴラト Houvrat とも)は有力氏族であったドゥロ家(en)の出身で[2]ブルガール人の指導者としての正当な継承権をもっていた。クブラトのおじのオルガナ(Organa)がブルガール族の摂政を務めていた間、クブラトは東ローマ帝国で若い時代を過ごし、教育と洗礼を受けた[3]

628年ごろ、クブラトは故郷に戻り、おそらくアヴァール人カガンの承認の元、ブルガール人の指導者となった。やがてクブラトはアヴァールによる支配からの脱却を図り、西突厥からも脱却した。

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