仏印進駐

1941年、サイゴン市内の日本軍

仏印進駐(ふついんしんちゅう)とは、第二次世界大戦下におけるフランス領インドシナ(仏領印度支那)への日本軍の進駐のことを指す。1940年北部仏印進駐と、1941年南部仏印進駐に分けられる。南部仏印進駐は日米関係の決定的な決裂をもたらした、太平洋戦争への回帰不能点英語版であると評されている[1]

背景

1937年日中戦争支那事変)勃発以降、中華民国蒋介石政権に対して行われていたイギリスアメリカ合衆国などによる軍事援助は、いわゆる援蒋ルートを通じて行われていた[2]。特にフランス領インドシナを経由するルート(仏印ルート)は4つの援蒋ルートの中で最大のものであった[2]。日本はフランス政府側に対して繰り返しルートの閉鎖を申し入れていたが、受け入れられなかった[2]

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