ヴィローチャナ

ヴィローチャナ (Virocana) は、 インド神話仏教説話で古くから、 アスラ阿修羅)族の王とされる。

解説

ヴィローチャナはアスラ王 ヒラニヤカシプの孫にあたり、 プラフラーダの子である。アスラ王 バリ [注 1]の父である。 ダイティヤ族のアスラである [1]

チャーンドーギア・ウパニシャッド』第8章 [2]において、 デーヴァ神群の王 インドラ帝釈天)、アスラ族の王ヴィローチャナが「本当の アートマン(自我)とは何か」という真理を求め創造主( プラジャーパティ)の元を訪れたとある。その奥義を得てヴィローチャナは満足し、アスラたちに伝えたという。

ヴィローチャナとインドラがプラジャーパティに聞いた真理とは「美しい飾りをつけ、水や鏡に映る身像、それこそ自我であり、梵(宇宙の真理)である」というものであったという。ヴィローチャナはこれを聞いて満足して帰ったという。しかし、インドラはこの嘘(盲目の人は水面の姿を見ることができないではないか)に気がつきプラジャーパティの元に戻りさらにたずねさらにプラジャーパティに質問すると、プラジャーパティは「そうだ」と言い、それを聞いたインドラはさらにプラジャーパティの元で修行して真理を得たという [注 2]

仏典では『 サンユッタ・ニカーヤ』11篇第一章第八節「阿修羅の主であるヴィローチャナ(あるいは目的)」に登場しており、対応する 求那跋陀羅訳『雑阿含経』の漢文(一一一九)では「鞞盧闍那子婆稚阿修羅王」と表記される。この経典には釈迦の前でサッカ(帝釈天)と対話するシーンが収められている。帝釈天が「怒り狂う他人を静止するためには『耐え忍び、静かにしていること』だ」と言った。また「人は目的が達成まで努力せねばならぬ。目的が達成されたのならば耐え忍ぶことより優れたものはない」の言ったに対し、ヴィローチャナは「耐え忍ぶという部分に過失がある。これでは愚者はますます増長してしまう」と言ったという。さらに「一切の生き物は目的を目指して生まれたものであり、分に応じて努力が達成されたのならば、享楽は目的に応じて享受することが最高である。」とヴィローチャナが徳目を説いて付け加えて返した、という内容である [3]

この故事が原因で宮坂宥勝(高野山大学)によると「インドの古代文献で唯物論者(Cāruāka)を呼ぶのにAsura(ときとしてRākṣasa, Yaksa)の呼称を用いること、しばしばであると想起したい、と思う」と記述している [4]

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