ヴァルター・ハルシュタイン

ヴァルター・ハルシュタイン
Walter Hallstein
Bundesarchiv B 145 Bild-F004665-0003, Walter Hallstein.jpg

任期 1958年 1月7日1967年 6月20日

出生 1901年 11月17日
ドイツの旗 ドイツ帝国 マインツ
死去 (1982-03-29) 1982年 3月29日(80歳没)
西ドイツの旗 西ドイツ シュトゥットガルト
政党 ドイツキリスト教民主同盟

ヴァルター・ハルシュタインWalter Hallstein, 1901年 11月17日 - 1982年 3月29日)は、 ドイツ連邦共和国(旧 西ドイツ)の 政治家法学者欧州経済共同体初代委員長。

経歴

学究

ドイツ西部の マインツで生まれた。 ベルリン大学などで法学を学んで1925年に博士号を取得した後、ベルリン大学助手を経て 1926年ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で外国 私法や国際私法の研究員となり、 1930年ロストック大学ロストック)の教授、 1941年には フランクフルト大学フランクフルト・アム・マイン)の教授となった。この間、国家社会主義法律家連盟、国家社会主義国民福祉協会、国家社会主義ドイツ人教師連盟などの 職能団体に加入していた [1]。ナチス・ファシスト型独裁の「新ヨーロッパ」(Das Neue Europa) の法的枠組の取り決めの際、1938年ローマで行われた交渉会合にドイツの代表として出席した [2]第二次世界大戦中の 1942年からは ドイツ国防軍の予備役 中尉として フランス北部で第709歩兵師団に配属されたが、 1944年シェルブールアメリカ軍捕虜となった。ハルシュタインは アメリカ合衆国ミシシッピ州に設けられた 捕虜収容所に送られたが、彼はここで「収容所大学」を創設し、捕虜に対して法学を講義した。

戦後の 1946年にハルシュタインはドイツへ戻り、フランクフルト大学で 学監に選ばれた。その前日、 ルートヴィヒ・エアハルトバイエルン州経済省事務次官就任を請われたが、これを断っている。1948年にはアメリカの ジョージタウン大学の客員教授として招かれ、1年間国際関係論を講義した。ドイツに帰国後はドイツ連邦共和国( 西ドイツ)の 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)加盟交渉に参加、さらに 欧州石炭鉄鋼共同体加盟交渉の西ドイツ政府首席代表に選ばれた。経済省は経済ではなく法学の専門家であるハルシュタインの任命に反対したが、これは西ドイツ初代首相 コンラート・アデナウアーの強い希望による人事だった。

ハルシュタイン外交

1950年8月、アデナウアー首相はハルシュタインを 連邦首相府事務次官に指名し、 シューマン・プランの受け入れに関する交渉に当たらせた。翌年、ハルシュタインはアデナウアー(外相を兼任)の指名で外務次官に転じた。1954年にはアデナウアーと共に戦後最初の独仏首脳会談に臨んでいる。 1955年 9月22日には ハルシュタイン原則を発表し、 ドイツ民主共和国(東ドイツ)を 国家承認した国家との 国交を断絶するという西ドイツの外交方針を規定した。ただし、同年に西ドイツと国交を回復し、東ドイツを覇権下に置く ソビエト連邦は例外としていた。この方針は外務省政策局長 ヴィルヘルム・グレーヴェの主張が強く反映されていた。

当時の西ドイツは、 イスラエルとの和解や 欧州防衛共同体加盟交渉など多くの外交懸案を抱えており、実務を担当するハルシュタインはしばしば批判にさらされた。その後、ハルシュタインは1938年に作成した自身の書類を基に ローマ条約の作成に当たった。その頃には新外相 ハインリヒ・フォン・ブレンターノとの確執で、外交政策におけるハルシュタインの影響力は小さくなっていた。ブレンターノはハルシュタインを駐米大使に「左遷」しようとしたが、成功しなかった。

欧州外交

そんな最中の 1958年 1月7日、EECは初代委員長に条約締結の立役者であるハルシュタインを選出した。1959年にはEECの共同市場創設や自由貿易を目指した「ハルシュタイン計画」を発表している( ハルシュタイン委員会)。ハルシュタインはヨーロッパ統合の更なる進展を目指したが、フランス大統領の シャルル・ド・ゴールが国家主権を蝕む超国家主義的な決定に反対し、フランスの代表を送らない「空席戦術」で抗議したため、ハルシュタインは 1967年7月にEEC委員長辞任へ追い込まれた。

その後、ハルシュタインは西ドイツ政界に復帰し、 1969年から 1972年まで ドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 所属の ドイツ連邦議会議員として活動した。1968年から1974年には「国際ヨーロッパ運動」の議長を務めた。1982年、80歳で シュトゥットガルトで死去した。

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