来歴
ソ連崩壊末期にガレージバンドとしてデビュー。ソ連当局に「最も危険なバンド」というレッテルを貼られ、幾つかの妨害工作を受けるも、徐々に地元ウラジオストクで人気のミュージシャンとなった。中国語と英語を話すことができるラグテンコがコンサルタント業で中国やイギリスに勤めることになったため、一時期活動は休止となっていたが、彼がロシアに戻るとグループは再結成され、活動を再開。1997年には公式上のファーストアルバム「Morskaya」(Морская)をリリース。
その後シングル「ウラジオストク2000」が大ヒットし、人気はロシア全土に広がる。時期を同じくして日本でもNHKテレビロシア語講座などで紹介されるようになり、1999年、2001年には函館でライブを行った(このライブはNHKでも衛星中継された)。また2001年ユーロビジョン・ソング・コンテストのロシア代表にも選ばれ、コペンハーゲンで行われた本選に出場したが、12位に終わった。ロシアのロックバンド、
ゼムフィーラを発掘したことでも有名。現在ではロシアやロシア語圏以外でも精力的にツアーをこなし、世界的に知名度を確立しつつある。
2005年には、ライブコンサートを収録したDVD、「Pohititeli Knig」 (Похитители Книг)をリリースした。
2016年、VISUAL JAPAN SUMMIT 2016の3日目に出演。