マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)

マルグリット・ド・ブルゴーニュ
Marguerite de Bourgogne
フランス王妃
ナバラ王妃
Margaret of Burgundy.jpg
出生 1290年
死去 1315年 8月15日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国ノルマンディー、 ガイヤール城
埋葬  
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国ヴェルノン
配偶者 フランスルイ10世
子女 ジャンヌ
父親 ブルゴーニュ公 ロベール2世
母親 アニェス・ド・フランス
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マルグリット・ド・ブルゴーニュ(Marguerite de Bourgogne, 1290年 - 1315年 8月15日)は、フランス王 ルイ10世の王妃。 カペー家分家 ブルゴーニュ家ブルゴーニュ公 ロベール2世とフランス王女アニェス( ルイ9世と王妃 マルグリットの娘)の娘。妹に フィリップ6世の王妃となった ジャンヌがいる。また、 同名の従姉シチリアカルロ1世(シャルル・ダンジュー)の2番目の王妃となっている。

生涯

1305年、従兄で当時 ナバラ王となっていたルイと結婚した。 1314年には2人はフランス王および王妃にもなった。

1312年頃から、 セーヌ河畔の通称「ネールの塔」で、夫の不在時にフィリップ・ドネ(Philippe d'Aunay)およびゴーティエ・ドネ(Gauthier d'Aunay)の兄弟と不貞をはたらくようになった [1]。夫の兄弟の妻たち、 ジャンヌブランシュの姉妹も誘って浮気を楽しんだ。夫も宮廷もこの大胆な行為に長く気づかなかったが、1314年にルイの妹、 エドワード2世イザベルイングランドから一時帰国したことから、事態が変わった。

当時、夫エドワードの 同性愛と不実に不幸な結婚生活を送っていたイザベルは、自分の反エドワードの活動を支援するよう頼むために帰国していたが、義理の姉妹たちが宮廷を抜けてどこかへ出かけていくのを敏感にかぎつけた。

イザベルの密告により不貞の顛末が明らかになると、ことは宮廷を揺るがす大醜聞となった。マルグリットは ガイヤール城へすぐさま幽閉された。事件のショックで フィリップ4世が亡くなり、夫がルイ10世として即位するものの、彼女はそのまま幽閉された [2]

ルイとマルグリットには 1311年生まれの一女 ジャンヌがいたが、彼女が嫡出かどうかが強く疑われた。この疑惑はジャンヌに生涯つきまとった。ジャンヌは少なくともルイ9世の血を引くことは確かではあったが、 サリカ法を根拠にフランス王位継承者からははずされ、ナバラ王位のみを継承した。

1315年、マルグリットは幽閉先で死去した。20代半ばでの死であり、夫によって毒殺されたと噂された。

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