マリア・ゴレッティ

マリア・ゴレッティMaria Goretti, 1890年10月16日 - 1902年7月6日)は、殺人被害者となったイタリアの少女。カトリック教会の殉教者、聖人

聖マリア・ゴレッティ
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マリア・ゴレッティ(ジュゼッペ・ブロヴェッリ=ソッフレディーニによる絵画、1929年)
殉教者
崇敬する教派カトリック教会
記念日6月6日
守護対象少女、貧しき者、青少年一般、および性的暴行の被害者、犯罪の被害者

生涯

マリアはイタリア王国アンコーナ県(旧教皇領)のコリナルドで、敬虔なカトリック信者の家庭に生まれた。7人兄弟(4男3女、そのうち1男は夭折)の長女で、「マリエッタ」の愛称[1]で呼ばれた。父アロイジオは貧しい日雇い労働者であったが、信仰を怠ることなく、日曜日には家族そろってミサに与かり、彼女は両親から愛情を受けて信仰深く育った。

しかし、父はまだ幼いマリアたちを残してマラリアで他界し、母アスンタ・カルリーニは6人の子供を抱えて、以前から同じ家に住むセレネッリ一家を頼るようになる。10歳を迎えたマリアは待望の初聖体(カトリック教会の習慣)を受け、敬虔な生涯を送る決心をする。

セレネッリ家の息子の アレッサンドロ英語版は、マリアにただならぬ思いを寄せていた。セレネッリ父子はゴレッティ一家とは違い、キリスト教の信仰から程遠い生活を送っていた。特にアレッサンドロは幼少の頃に母を亡くし、性格が気難しく、周囲に冷淡な態度をとっていた。

1902年7月5日、マリアの母が留守中に悲劇が起こった。当時、妹の子守をしていたマリアは、アレッサンドロに襲われそうになった。体をよこせと脅迫されると、マリアは必死に抵抗し、「純潔は神様からいただいたもの、汚してはいけません」と叫んだ。しかし、それに逆上したアレッサンドロはナイフでマリアの腹部の数箇所を刺し、彼女は血まみれとなって倒れた。

惨劇から間もなくして、マリアの母が仕事から帰ってきた。彼女は娘を呼んだが一向に声が聞こえず、不審に感じて家に上がると、娘の無残な姿を発見した。母は驚愕し、騒ぎに近所の住民が駆けつけた。マリアは病院に移されて手当てを施されたが、すでに手遅れであった。彼女はかすかな声で「彼を許します」と言い、それから「アレッサンドロ、そんなことをしては地獄に行くわ」と朦朧とした様子で口にすると、死亡した。

この事件はやがて世間に知られ、純潔を守るために命を落とした少女の噂を聞きつけ、彼女の葬儀に数百人が参列した。

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