ホセ・マヌエル・フラド

この名前は、 スペイン語圏の人名慣習に従っています。 第一姓(父方の )はフラド第二姓(母方の )はマリンです。
ホセ・マヌエル・フラド Football pictogram.svg
José Manuel Jurado 2013.jpg
名前
本名 ホセ・マヌエル・フラド・マリン
José Manuel Jurado Marín
ラテン文字 Jose Manuel JURADO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1986-06-29) 1986年 6月29日(31歳)
出身地 サンルーカル・デ・バラメーダ
身長 176cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 RCDエスパニョール
ポジション MF (OH), セカンドトップ
背番号 10
利き足 右足
ユース
スペインの旗 レアル・マドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2006 スペインの旗 レアル・マドリードB 95 (13)
2005-2006 スペインの旗 レアル・マドリード 3 (0)
2006-2010 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 88 (10)
2008-2009 スペインの旗 マジョルカ (loan) 35 (9)
2010-2013 ドイツの旗 シャルケ 46 (3)
2012-2013 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ (loan) 18 (3)
2013-2015 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 48 (11)
2015-2016 イングランドの旗 ワトフォード 27 (0)
2016- スペインの旗 エスパニョール
代表歴
2001-2002 スペインの旗 スペイン U-16 5 (1)
2002-2003 スペインの旗 スペイン U-17 16 (6)
2004-2005 スペインの旗 スペイン U-19 8 (2)
2006-2009 スペインの旗 スペイン U-21 18 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年7月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホセ・マヌエル・フラド・マリン(José Manuel Jurado Marín, 1986年 6月29日 - )は、 スペインアンダルシア州 カディス県出身の サッカー選手。ポジションは 攻撃的ミッドフィルダー、セカンドトップ、左ウイング。 リーガ・エスパニョーラRCDエスパニョール所属。

経歴

レアル・マドリードカンテラで育つ。「 ジネディーヌ・ジダンの後継者」「カンテラのジダン」と謳われ期待されていた。Bチームの レアル・マドリード・カスティージャでは数年主力選手として活躍。 アルバロ・アルベロアや、 ロベルト・ソルダードファンフランディエゴ・ロペス等とBチームの黄金期を築き、2部リーグへ昇格させるなど攻撃の中心として活躍した。

また、ユース世代の スペイン代表を経験しており、 2003年には U-17欧州選手権で準優勝し U-17世界選手権に出場、準優勝した。なお 2005年ワールドユースは、カスティージャで昇格争いをしていたため他のチームメイトと共に参加しなかった。U-21代表ではの主力選手であった。

しかしながら他のカンテラ出身の選手たちと同様、「銀河系軍団」と呼ばれたトップチームではほとんど出番を与えられることは無かった。 2006年 8月に同じ マドリードを本拠とする アトレティコ・マドリードに移籍金300万ユーロの4年契約で、2年後に600万ユーロで買い戻せるオプション付きで移籍した。カンテラで育てた有望な若手を、よりによって隣のライバルチームに移籍させるレアル・マドリードの手法はメディアの注目を惹き、物議を醸した。

この移籍は、当時チームのスポーツディレクターを務めていた プレドラグ・ミヤトビッチが会長の休暇不在中に成立。その話を耳にした当時の会長 ラモン・カルデロンは急いでチームへと戻り、アトレティコ側との会談を取り付けた。そして最初の条件は維持し、新たに、

  1. 「最初の2シーズン、フラドをベルナベウでプレーさせた場合アトレティコに罰則が課されること。」
  2. 「契約期間の4年の間にフラドを移籍させる場合、レアル・マドリードに優先交渉権があり、まず最初にレアル・マドリードと交渉しなければならない。」

というこの2つの条件をなんとか追加させることが出来た。

移籍後は両サイドMFの主力である選手が相次いで怪我でいなくなったチーム事情から与えられたチャンスを見事に掴み、レアル・マドリード時代の鬱憤を晴らす切れのあるプレーを見せた。2007-08シーズンは出場機会が減少し、16試合出場にとどまる。

2008-09シーズンは出場機会を求めて マジョルカへレンタル移籍。35試合に出場し、9ゴール9アシストと活躍を見せた。

2009-10シーズンにアトレティコに復帰。不調に陥るチームの中でも好パフォーマンスを披露しレギュラーの座を掴む。

2010-11シーズン、 シャルケ04からオファーを受け [1]、クラブや監督の キケ・フローレスは難色を示したものの [2]、移籍を強く希望し [3]、夏の移籍市場が閉まる直前の2010年8月31日にシャルケへの移籍が決定した [4]

なお、移籍決定前に出場した リーガ・エスパニョーラ第1節・ スポルティング・ヒホン戦で1ゴールを挙げ、アトレティコへの惜別弾となった。

シャルケでは同年12月4日の バイエルン戦で先制弾となる初ゴールを決めた。その次の試合となる UEFAチャンピオンズリーグ グループステージベンフィカ戦では ラウルが胸で落としたボールから先制ゴールを決めた。チームはグループステージを首位で通過し、ホームで行われた準々決勝 インテル戦2ndlegで ラウルのゴールをアシストし、チームのクラブ史上初となるベスト4進出に貢献した。

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