フランシス・ハーバート・ブラッドリー

フランシス・ハーバート・ブラッドリー
生誕(1846-01-30) 1846年1月30日
イギリス、サリー、クラパム
死没1924年9月18日(1924-09-18)(78歳)
イギリス、オックスフォードシャーオックスフォード
時代19世紀哲学
地域西洋哲学
学派イギリス理想主義
研究分野形而上学倫理学歴史哲学論理学
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フランシス・ハーバート・ブラッドリー(Francis Herbert Bradley, 1846年1月30日 - 1924年9月18日)は、イギリスの理想主義哲学者。代表作は『現象と実在(Appearance and Reality)』(1893年)[1]

ブラッドリーはイギリス・サリーのクラパム(現・グレーター・ロンドン)に生まれた。父は福音主義牧師チャールズ・ブラッドリーで、母はチャールズの二人目の妻であったエマ・リントン。英文学者のアンドリュー・ブラッドリーは弟である。チェルトナム・カレッジとマールボロ・カレッジで教育を受け、10代の頃にイマヌエル・カントの『純粋理性批判』を読んだ。1865年、オックスフォード大学ユニヴァーシティ・カレッジに進学。1870年、オックスフォード大学マートン・カレッジのフェローに選ばれ、1924年に亡くなるまでその地位にあった。現在、ブラッドリーはオックスフォード大学のホーリーウェル墓地に眠っている。

生涯を通じて、ブラッドリーは哲学者として尊敬を集め、名誉学位を幾つも授与された。イギリスの哲学者としては史上初めてメリット勲章を贈られた。マートン・カレッジでのフェローの職務には教育義務が含まれていなかったので、執筆活動を自由に行うことができた。ブラッドリーは非-多元論的な哲学で知られている。論理学形而上学倫理学の区分を超越し、一元論的に統一することを目指すと同時に、一元論と絶対的観念論を融合した世界観を支持したのである。ブラッドリーはヘーゲル主義者を自称しなかったが、彼独特の哲学はヘーゲルの弁証法から触発されており、またその要素を含みこむものであった。

哲学

ブラッドリーは、ジョン・ロックデイヴィッド・ヒュームジョン・スチュアート・ミルに代表されるイギリス哲学の功利主義的・経験主義的な傾向を拒絶した。ブラッドリーはイギリス理想主義という哲学運動の代表的人物として知られており、カントとドイツ観念論哲学者、すなわちフィヒテフリードリヒ・シェリング、そしてヘーゲルから強い影響を受けた。ただし、ブラッドリーは自身がそうした影響を受けていることを軽視していた。

1909年、ブラッドリーは「真理と整合性について(On Truth and Coherence)」という論文を『Mind』誌に掲載し(論文集『Essays on Truth and Reality』に再録)、認識論におけるある種の不可謬主義的基礎付け主義(infallibilist foundationalism)を批判した。哲学者のロバート・スターンによれば、ブラッドリーはこの論文で整合主義を正当化の理論としてではなく、真理の基準もしくはテストとして擁護している[2]