フランシスコ・ジェステ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はジェステ第二姓(母方の)はナバーロです。
フラン・ジェステFootball pictogram.svg
名前
本名フランシスコ・ハビエル・ジェステ・ナバーロ
Francisco Javier Yeste Navarro
ラテン文字Fran YESTE
基本情報
国籍スペインの旗 スペイン
生年月日(1979-12-06) 1979年12月6日(38歳)
出身地バサウリ
身長184cm
体重67kg
選手情報
ポジションMF (OMF)
利き足左足
ユース
1991-1997スペインの旗 ビルバオ
クラブ1
クラブ出場(得点)
1997-1998スペインの旗 バスコニア38(7)
1997-1998スペインの旗 ビルバオB34(2)
1998-2000スペインの旗 ビルバオ302(50)
2010-2011アラブ首長国連邦の旗 アル・ワスル21(9)
2011-2012ギリシャの旗 オリンピアコス5(0)
2012アラブ首長国連邦の旗 バニーヤース7(0)
1997-2012通算407(68)
代表歴2
1998スペインの旗 スペイン U-181(0)
1999スペインの旗 スペイン U-207(0)
2000-2001スペインの旗 スペイン U-2112(0)
監督歴
2014スペインの旗 エルデンセ英語版
2016スペインの旗 エルデンセ
1. 国内リーグ戦に限る。2017年8月5日現在。
2. 2017年8月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランシスコ・"フラン"・ハビエル・ジェステ・ナバーロFrancisco "Fran" Javier Yeste Navarro, 1979年12月6日 - )は、スペインバサウリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(トップ下、左サイド)。

経歴

アスレティック・ビルバオ

ビスカヤ県バサウリに生まれ、アスレティック・ビルバオの下部組織(レサマ)で育った。サードチームであるCDバスコニア、セカンドチームであるビルバオ・アスレティックと昇格していき、1999年2月7日のラシン・サンタンデール戦でフル出場してトップチームデビューした。1998-99シーズンはトップチームで計14試合に出場したが、翌シーズンは主にBチームの試合に出場。1999年4月にはナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場した。クラブでもともに戦うダニエル・アランスビアパブロ・オルバイスらとともに参加し、決勝でU-20日本代表を破って優勝した。2000-01シーズンにはトップチームでレギュラーの座を獲得し、2000年12月10日のレアル・オビエド戦(4-0)での2得点を含む6得点を挙げた。2003-04シーズンは自己ベストのリーグ戦11得点を挙げ、UEFAカップ出場権を得る5位でシーズンを終えた。2004-05シーズン途中にスペイン代表に初招集されたが出場機会はなかった[1]。この頃は負傷することも多かったが出場を続け、2006-07シーズンはリーグ戦全38試合出場5得点の成績で17位での降格回避に携わった。

ジェステは不安定な性格で知られ[2]2007-08シーズン2008-09シーズン合わせて5度の退場処分(加えて14枚のイエローカード)を受けている[3][4]。このうちのひとつは2009年3月15日のレアル・マドリード戦(2-5)でイケル・カシージャスを突き飛ばしたために受けたものだった[5]2009-10シーズンは常時出場とはいかず、またホアキン・カパロス監督によって1ヶ月以上もチームから外されていた時期もあった[6]。2010年3月25日のアトレティコ・マドリード戦(0-2)で復帰したものの、その試合で退場処分を受けた。5月9日のレアル・マドリード戦(1-5)ではチーム唯一の得点を挙げた。シーズン終了後、契約満了によりチームを離れることが発表された[7]

アル・ワスルFC

2010年6月19日、31歳のジェステはアラビアン・ガルフ・リーグアル・ワスルFCと2年契約を結んだ[8]。2011年3月、 エティサラート・エミレーツ・カップ準決勝のアル・アインFC戦の50分(正確には49分27秒)に相手が得点を決めたが、ゴールセレブレーションが終わらないうちに試合が再開されてジェステがセンターサークルからシュートを放ち、オランダのVoetbal Stijl紙が「サッカー史上最速の同点ゴール」と表現する得点を挙げた。この時も50分(正確には49分54秒)であった[9]。シュートの際に別の選手がセンターサークル内におり、キックオフの笛から一度もパスをすることなくシュートしたため、この得点が正当なものかどうか議論が巻き起こったが、ゴールネットを揺らすすぐ前に一度地面でバウンドし、さらにセンターサークル内にいた選手がアル・アインの選手であったことから、後に規約に基づく得点であることが確かめられた[10]

オリンピアコスFC以降

2011年夏に自由契約となったが、7月22日に恩師エルネスト・バルベルデ監督が率いるギリシャ・スーパーリーグオリンピアコスFCと1年契約を交わした[11]。しかし翌年1月17日にはクラブとの契約解除で合意[12]バニーヤースSCへ加入しUAEに復帰した[13]

指導者時代

2014-15シーズンより、セグンダ・ディビシオンBの CDエルデンセの指揮官として招聘されるも11月に退団[14]。2016-17シーズンより同クラブに復帰するが、2016年9月12日に解任されることが発表された[15]

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