フランク王国

フランク王国
西ローマ帝国5世紀後半 - 9世紀末から10世紀東フランク王国
西フランク王国
中フランク王国

フランク王国の位置
フランク王国の最大版図

公用語古フランク語
ラテン語
首都パリシテ島(クロヴィス1世時代、以後は分割相続)
アーヘン(カール大帝時代、817年の帝国分割まで)
皇帝

481/482年 - 511年クロヴィス1世
743年 - 751年キルデリク3世(メロヴィング朝最後)
751年 - 768年ピピン3世(カロリング朝初代)
768年 - 814年カール1世フランク・ローマ皇帝
884年 - 887年カール3世(唯一のフランク王となった最後の人物、フランク・ローマ皇帝)

変遷

メロヴィング朝成立5世紀後半
カロリング朝成立751年
カール大帝の戴冠800年
ヴェルダン条約による分割843年
最後の統一終焉887年

フランク王国の時代別の領土

フランク王国(フランクおうこく、フランス語: Royaumes francsドイツ語: Fränkisches Reich)は、5世紀後半にゲルマン人の部族、フランク人によって建てられた王国。カール1世(大帝)の時代(8世紀後半から9世紀前半)には、現在のフランスイタリア北部・ドイツ西部・オランダベルギールクセンブルクスイスオーストリアおよびスロベニアに相当する地域を支配し、イベリア半島イタリア半島南部、ブリテン諸島を除く西ヨーロッパのほぼ全域に勢力を及ぼした。カール1世以降のフランク王国は、しばしば「フランク帝国」「カロリング帝国」などとも呼ばれる。

この王国はキリスト教を受容し、その国家運営は教会の聖職者たちが多くを担った。また、歴代の王はローマ・カトリック教会と密接な関係を構築し、即位の際には教皇によって聖別された。これらのことから、西ヨーロッパにおけるキリスト教の普及とキリスト教文化の発展に重要な役割を果たした。

フランク王国はメロヴィング朝カロリング朝と言う二つの王朝によって統治された。その領土は、成立時より王族による分割相続が行われていたため、国内は恒常的に複数の地域(分王国)に分裂しており、統一されている期間は寧ろ例外であった。ルートヴィヒ1世(敬虔王、ルイ1世とも)の死後の843年に結ばれたヴェルダン条約による分割が最後の分割となり、フランク王国は東・中・西の3王国に分割された。その後、西フランクはフランス王国、東フランクは神聖ローマ帝国の母体となり、中フランクはイタリア王国を形成した。

このようにフランク王国は政治的枠組み、宗教など多くの面において中世ヨーロッパ社会の原型を構築した。

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