フェルナンド7世治世下のスペイン

スペイン王国
Reino de España

1814年–1833年
国旗国章
標語
プルス・ウルトラ
国歌
国王行進曲
リエゴ賛歌 (両立 1822-1823)
首都マドリード
言語スペイン語
宗教ローマ・カトリック
政府絶対君主制 (1814-1820; 1823-1833)
立憲君主制 (1820-1823)
国王
 • 1814年–1833年フェルナンド7世
歴史・時代19世紀
 • フェルナンド7世帰国1814年3月22日
 • カディス・コルテス無効宣言1814年5月4日
 • リエゴプロヌンシアミエント1820年1月1日
 • イサベル2世即位1833年9月29日
通貨エスクードレアル、マラベディ (en

フェルナンド7世治世下のスペインスペイン語: Reinado de Fernando VII de España)は、スペイン史上、フェルナンド7世が君臨した1814年から1833年までの時代を指す。この当時、同国はブルボン朝絶対王政の復活を経験したことから、絶対主義王政復古スペイン語: restauración absolutista)とも呼ばれる。

フランスの占領に対する独立戦争の後、1813年10月にマドリードコルテスが開かれた。そのすぐ後、ナポレオンヴァランセ条約フェルナンド7世をスペイン国王として承認した。フェルナンド7世はスペイン国民の圧倒的支持を受けて、1814年3月22日バレンシア経由で首都へ戻った。その時、王党派の中心から絶対王政復活を求める声明「ペルサス宣言スペイン語版」を受け入れた。

絶対主義の六年間

《綱が切れるぞ》(ゴヤ作『 戦争の惨禍英語版』《強調されたカプリーチョス》の部第77番)。フェルナンド7世の王政復古を暗示している。Bozal[1]の指摘によるとこの版画は綱渡りをする高位聖職者代表、すなわち教皇を表している(プラド美術館所蔵のデッサン)

1814年5月4日、フェルナンド7世は カディス・コルテス英語版とそこで制定された1812年憲法の無効を宣言した。ここに「絶対主義の六年間 (Sexenio Absolutista) 」(1814年–1820年)が始まった。

国王に対してはもとより5月4日の宣言に対して反抗の意を表した者はごく少数であった。自由主義的軍人らは逮捕され、マドリードで騒擾が若干発生したが軍隊により速やかに鎮圧された。 カスティーリャ枢機会議英語版が再建され、市長 (alcalde職が廃止され、総監領 (capitanía general制が再建された。イエズス会も復権し、異端審問が復活した。

その後数年間、フェルナンド7世の絶対王政に反対する自由主義者らの プロヌンシアミエント (pronunciamientoが相次ぎ、1814年 エスポス・イ・ミナ英語版1815年 ディアス・ポルリエルスペイン語版1817年 ラシ英語版将軍の発したものが最も有名であるが、いずれも成功には至らなかった。

しかし、1820年1月1日 ラス・カベサス・デ・サン・フアン英語版においてラファエル・デル・リエゴ大佐ほか自由主義的将校らがカディス憲法の復活を宣言した。この運動は2月末には形勢悪化して窮地に陥ったが、ガリシアでもカディス憲法を支持する反乱が複数発生した。

反乱は全国に急速に広がり、3月7日には バリェステロス英語版将軍の反乱軍が王宮周辺を占拠した。フェルナンド7世は自由主義憲法を受け入れることを余儀なくされ、「自由主義の三年間 (Trienio Liberal」(1820年–1823年)が始まった。