デイトン (オハイオ州)

デイトン市
City of Dayton
Montage dayton 1.jpg
標語 : "Birthplace of Aviation(航空の発祥地)"
位置
デイトン市 の位置図
座標 : 北緯39度45分32秒 西経84度11分30秒 / 北緯39度45分32秒 西経84度11分30秒 / 39.75889; -84.19167
歴史
設立1796年4月1日
編入1805年
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 オハイオ州
 モンゴメリー郡
 市デイトン市
市長ライン・L・マクリン
民主党
地理
面積 
  市域147.0 km2 (56.6 mi2)
    陸上  144.0 km2 (55.7 mi2)
    水面  2.0 km2 (0.9 mi2)
      水面面積比率    2.0%
標高225 m (738 ft)
人口
人口(2010年現在)
  市域141,527人
    人口密度  982.8人/km2(2,540.9人/mi2
  都市圏841,502人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
市外局番937
公式ウェブサイト : http://www.cityofdayton.org

デイトン (Dayton) は、アメリカ合衆国オハイオ州西部に位置する都市。マイアミバレーと呼ばれる地域の中心都市で、同州モンゴメリー郡郡庁所在地である。人口は141,527人(2010年国勢調査[1]。モンゴメリー郡を中心に4郡にまたがるデイトン都市圏は人口841,502人(2010年国勢調査)[1]を数え、より市域人口の多い州内のアクロントレドをしのいで州内第4位の規模である。さらに、北東郊約40kmに位置するスプリングフィールドを含めた広域都市圏は人口100万人を超える。市はシンシナティの北約80kmに位置し、デイトン都市圏はシンシナティ都市圏の北に隣接している。

デイトンはライト兄弟を生んだ土地であり[2]、航空宇宙や先端技術の分野での研究が盛んである。デイトン周辺にはライト兄弟から名を取った施設がある。1つはデイトン東郊のフェアボーン市にキャンパスを構えるライト州立大学である。南西のオックスフォード市に立地するマイアミ大学と並んで西オハイオを代表する州立大学である同大学は、医学と航空学の分野で高い評価を得ている。もう1つは市の北東に位置するライト・パターソン空軍基地である。同基地はデイトン最大の雇用者でありアメリカ合衆国空軍の空軍資材軍団(AFMC)が司令部を置いている。1995年11月、同基地でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を停戦させるデイトン合意が成立した。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォは、デイトンの姉妹都市の1つである。ゼネラル・アビエーション用のデイトン・ライト兄弟空港には、ライトBフライヤーのレプリカが置いてある[3]

また、デイトンは工業州オハイオの中でも有数の工業都市である。デイトンにはNCRをはじめ、レイノルズ&レイノルズ、ケムステーション・インターナショナル、リバティ・バンク、ニューページ、ワークフローワン、ハフィ、レクシスネクシスといった企業が本社を置いている。工場は自動車関連が多く、デイトンを交通の最寄とした日系自動車工場も近隣にある。周辺の市町村にはジェットエンジン、プロペラなど航空関連の工場も数多い。

ライト兄弟のいくつかの自転車ショップのうちデイトン市内で史跡として整備されている建物

歴史

デイトン、1870年

デイトンはオハイオの州昇格の7年前、1796年4月1日に入植者の小集団によって創設された。翌1797年にはシンシナティとデイトンを結ぶ道が開かれ、デイトンは マイアミバレー入植の拠点となった。デイトンは1805年には正式な町になった。町の名は独立戦争大尉アメリカ合衆国憲法の起草者のひとりで、のちにニュージャージー州選出の上院議員となったジョナサン・デイトンにちなんでつけられた。

1830年代エリー湖と グレートマイアミ川を結ぶ マイアミ・アンド・エリー運河が完成すると、デイトンからグレートマイアミ川を上り、運河を通じてエリー湖岸のトレドへ、さらにその先のエリー湖へと抜ける商取引ルートが確立された。また、グレートマイアミ川を下ればオハイオ川との合流点付近でシンシナティに通じていた。そのため、この運河を通じた水上交通路は1850年代まで西オハイオにおける主要な交通ルートであった。

ハフマンプレーリーで飛行中のライトフライヤーII号

1903年12月17日、デイトンで育ち、デイトンで自転車屋を営んでいたウィルバーとオーヴィルのライト兄弟は、ノースカロライナ州キティホークに近いキルデビルヒルズの砂丘地でライトフライヤー号を飛ばし、人類初の有人動力飛行に成功した。その後ライト兄弟はデイトンに戻り、翌年には北西郊のハフマンプレーリーでライトフライヤーII号の飛行実験を行った。しかし1913年のグレートマイアミ川の大洪水によって、兄弟のキティホークでのグライダー飛行や、ハフマンプレーリーでの動力飛行実験を写したネガは損傷してしまった。

第二次世界大戦中、デイトンは軍需産業で栄えた。デイトンや近郊のオークウッドの住宅地ではデイトン・プランが進められた。これはモンサント社による、工業的にポロニウムを生産する方法の開発であった。同社で生産されたポロニウムは、広島市長崎市に投下された型のような初期の原子爆弾を起爆させるために用いられた。デイトンに本社を置くNCR社は、その頃は航空機のエンジンや爆弾の照準機、暗号解読器を生産していた。同社が生産した暗号解読器は、ナチス・ドイツ暗号機エニグマの暗号を解読する上で大きく役立った。

第二次世界大戦後もしばらくの間、デイトンは工業都市として繁栄を続けた。1960年には人口262,332人でピークに達した。しかしその後は中西部の多くの主要都市同様、デイトンも凋落を始めた。市の中心部の空洞化が進んだ上、人口や産業が東部や中西部から南部のサンベルト地帯に移っていったためである。人口は減り続け、2010年の国勢調査では141,527人と、ピーク時の半分近くにまで減少した。

1995年11月、デイトン近郊のライト・パターソン空軍基地で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を停戦に導くデイトン合意が成立した。交渉は11月1日から21日にかけて同基地で行われた。この停戦合意は12月14日にパリで調印され、3年半続いた紛争を終わらせた。

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