ジェームズ・ハーグリーブス

ジェームズ・ハーグリーヴス
生誕 1720年ごろ
イングランドの旗 イングランド ランカシャー オズワルトウィスル
死没 1778年(57–58歳)
国籍 イングランドの旗 イングランド
著名な実績 ジェニー紡績機
配偶者 エリザベス・グリムショウ(1740年結婚) [1]
子供 13 [1]

ジェームズ・ハーグリーヴス(James Hargreaves、 1720年頃 - 1778年 4月22日 [2])は、イングランドの ランカシャー大工で、 発明家。1764年 ジェニー紡績機を発明したことで知られている。

ランカシャーのオズワルトウィスル近郊で生まれ、当時人口5000人ほどの町だった ブラックバーンに住んでいた。ブラックバーンは "Blackburn greys" と呼ばれる リンネルの経糸(たていと)と 木綿の緯糸(よこいと)で 織った 織物で知られていた(染色は ロンドンで行われていた)。木綿 の需要が増えて供給が逼迫し、 糸車で1本ずつ糸を紡ぐのでは間に合わなくなっていた。

ジェニー紡績機

ジェニー紡績機
紡績工場で使われていた改良型ジェニー紡績機

1764年頃、8本(後に16本に改良)の糸を同時に紡ぐことのできる多軸紡績機を発明し、 ジェニー紡績機(Spinning Jenny)と命名した(ジェニーという名前はハーグリーブスの妻の名前とされるが、彼の娘の名前から名付けられたとする説もある)。 糸車が床に倒れた際に糸車と 紡錘が回り続けたのを見て思いついたという。そして複数の紡錘を垂直に並べて置けば、複数の を一度に紡ぐことができると気付いた。ジェニー紡績機は木綿の緯糸の生産には十分だったが、経糸に使える品質の糸は生産できなかった。高品質の経糸用の糸の生産を機械化したのは リチャード・アークライトである。

ジェニー紡績機は家内工業用に広く用いられたが、緯糸の価格が下落するにおよび、世間の雰囲気は変化した。

ジェニー紡績機への反対により、ハーグリーブスは木綿の靴下の生産が盛んな ノッティンガムに移住した。靴下製造業界は、それに適した糸の供給増大を歓迎していた。アークライトも後にノッティンガムでさらなる成功を収めている。ハーグリーブスはシプリーという男のためにジェニー紡績機を作り、1770年6月12日に 特許を取得し、ランカシャーでジェニー紡績機を使っている紡績業者らに法的措置をとれるようになった。特許料の徴収には失敗したが、ノッティンガムでの事業は亡くなる1778年まで続いた。翌年には サミュエル・クロンプトンミュール紡績機を発明している。

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