カロライナ・パンサーズ

カロライナ・パンサーズ
Carolina Panthers
1993年創設
永久欠番
51
所属地区
  • NFL(1993-現在)
  • NFC(1993-現在)
南地区(2002-現在)
西地区(1993-2001)
ホームタウン
カロライナ・パンサーズの位置(アメリカ合衆国内)
カロライナ・パンサーズ

ノースカロライナ州 シャーロット

Panther Broncos- Prestation of Colors.JPG
バンク・オブ・アメリカ・スタジアム
(2003-)
旧名、エリクソン・スタジアム
(1996-2003)
クレムソン・メモリアル・スタジアム
(1995年)

チームデザイン
チームカラー
    
     パンサーブルー
     シルバー
チームロゴ
黒豹の頭部
獲得タイトル
リーグ・チャンピオン (0回)
カンファレンス・チャンピオン (2回)
2003、2015
地区優勝 (6回)
NFC西地区:1996
NFC南地区:2003、2008、2013、2014、2015
ワイルドカード(1回)
2005
球団組織
オーナー: ジェリー・リチャードソン
GM: デーブ・ジェトルマン
ヘッドコーチ: ロン・リベラ (2011-)

カロライナ・パンサーズ英語: Carolina Panthers、略称: CAR)は、 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 シャーロットに本拠地をおく NFLチーム。 NFC南地区に所属している。1995年に ジャクソンビル・ジャガーズとともにリーグに加盟。当時は NFC西地区

歴史

フランチャイズ誕生

1987年にNBAのエキスパンションチームとして シャーロット・ホーネッツの加入が決定されてから ボルチモア・コルツの元選手であった ジェリー・リチャードソンはNFLのエキスパンションチームを自身の出身地であるノースカロライナに作ろうと奔走した。彼は70000人以上を収容することができるスタジアムをシャーロットに建設することを発表、地元の期待は高まった。ノースカロライナ州、 サウスカロライナ州の知事、 ジェシー・ヘルムズアーネスト・ホリングスら連邦議員の支持も取り付けた。1989年、1990年、1991年に開催されたプレシーズンゲームのチケットはソールドアウトされた。1991年にはノースカロライナ州 ローリーにワールドリーグのローリー・ダーラム・スカイホークスが結成されたが1年で解散した。1992年にNFLはエキスパンションチームの候補地が、 メリーランド州 ボルチモアミズーリ州 セントルイステネシー州 メンフィスフロリダ州 ジャクソンビル、そしてシャーロットであると発表した。1993年10月26日に開かれたオーナー会議でカロライナとジャクソンビルを1976年以来となるエキスパンションチームとすることを満場一致で決定したと発表した [1]。地元はこの決定を花火を上げて歓迎した。競争に敗れたセントルイスとボルチモアもすぐにチームを迎えることとなった。ロサンゼルス・ラムズが1995年にセントルイスに移転して セントルイス・ラムズに、1996年には クリーブランド・ブラウンズがブラウンズの名称に愛着を持つ クリーブランド市民の声もあり、 ボルチモア・レイブンズとなって設立された。

1998年まで

1995年に ピッツバーグ・スティーラーズのディフェンス・コーディネーターであった ドム・ケイパーズがヘッドコーチとして迎えられた。他球団からプロテクトを受けなかった選手を エキスパンション・ドラフトで指名したがその中の1人 アトランタ・ファルコンズから移籍した ビル・ゴールドバーグがチームから最初に解雇された選手となった。彼はその後 WCWWWE(旧WWF)でプロレスラーとして活躍することとなる。1995年のドラフト1巡目でチームは ペンシルベニア州立大学のQB ケリー・コリンズを指名した。パンサーズと ジャクソンビル・ジャガーズは1976年に加入した タンパベイ・バッカニアーズシアトル・シーホークスの時代と異なり フリーエージェントの影響もありチーム創設の困難さは小さいものとなった。チームはWRの ドン・ビービー、LBの サム・ミルズ、PKの ジョン・ケイシーを獲得した [2]。チーム初のゲームは1995年7月29日にジャガーズとの間で行われたプレシーズンゲームであり20-14で勝利を挙げた。最初のシーズンはスタジアムが建設中だったためホームゲームを クレムゾン大学のメモリアル・スタジアムで行った。これは サウスカロライナ州を本拠地とした初の 北米4大プロスポーツリーグ(MLB,NFL,NBA,NHL)のチームとなった。第1週に行われた アトランタ・ファルコンズ戦では13-3とリードしたものの20-23で敗れた。また地元開幕戦となったセントルイス・ラムズ戦では10-31と敗れている。開幕から5連敗した後、10月15日の ニューヨーク・ジェッツ戦で初勝利をあげた [3]。この試合でサム・ミルズは31ヤードのインターセプトタッチダウンを挙げている。この試合から4連勝を挙げて前年スーパーボウルチャンピオンの サンフランシスコ・フォーティナイナーズを破る番狂わせ [4]も演じて7勝9敗でシーズンを終えた [5]

1996年のドラフトでは2巡目に ムーシン・モハメドを獲得、またクォーターバックの スティーブ・バーライン、タイトエンドの ウェズリー・ウォールズ、ラインバッカーの ケビン・グリーンを補強した。チームは創設2年目ながら7連勝を挙げるなど12勝4敗でNFC西部地区優勝を果たした。ディビジョナルプレーオフで ダラス・カウボーイズを26-17で破ったがこの年のスーパーボウルを制覇する グリーンベイ・パッカーズNFCチャンピオンシップゲームで13-30で敗れた。同じ創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズもプレーオフに進出したが AFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに敗れている。スーパーボウルに進出こそならなかったもののチームからは プロボウルに8人の選手が選ばれた。

1997年ファンはチームを期待したが2勝4敗のスタートとなるなど期待を裏切った。フィールド外でもトラブル続きでスターQBだったケリー・コリンズも アルコール依存症にかかり、チームメート(ムーシン・モハメドなど)に対する 人種差別的な発言をしてトラブルメーカーとなったため、1998年のシーズン終了後チームは彼との契約を切った。1999年には、1997年のドラフト1巡目で指名された レイ・カルースが妊娠したガールフレンドを謀殺して逮捕されるといったことが起きた。また、2000年4月にはエースRBだった フレッド・レーンが妻から ドメスティックバイオレンスで訴えられたためコルツに放出している [6]

1999年から2001年

1998年を4勝12敗で終えるとチームはヘッドコーチのケイパーズを解雇し、サンフランシスコ49ersで スーパーボウルを2度制覇した ジョージ・シーファートを後任に迎えた。1999年は8勝8敗でタイブレークの末、惜しいところでプレーオフ進出を逃した。

2年目の2000年は7勝9敗で終えた。

シーファート3年目のシーズンは悲惨なものとなった。ベテランQBのバーラインが解雇され、 ジェフ・ルイスに期待が持たれた。しかしルイスはプレシーズンゲームで十分なパフォーマンスを見せることなく解雇され、チームは新人の クリス・ウィンキに託されることとなった。ウィンキは フロリダ州立大学を全米チャンピオンとし ハイズマン・トロフィーを受賞していたがNFLで活躍するには経験不十分だった。チームは開幕戦こそドラフト3巡で獲得した スティーブ・スミスがキックオフリターンタッチダウンをあげる活躍を見せ、 ミネソタ・バイキングスに勝ったがその後NFL1シーズンのワーストとなる15連敗を喫してしまった。シーズン終了後シーファートは即座に解雇された。しかしこの年のドラフトで獲得した選手にはその後プロボウルやオールプロに選出される ダン・モーガン、 クリス・ジェンキンス、 スティーブ・スミスなどが獲得されていた。

2002年から2010年

スティーブ・スパリアーや トニー・ダンジー(現コルツヘッドコーチ)に断られた後、チームは ニューヨーク・ジャイアンツのディフェンス・コーディネーター、 ジョン・フォックスをヘッドコーチとして迎えた。彼はディフェンスを改善することを考えドラフトで ノースカロライナ大学のディフェンスエンド、 ジュリアス・ペパーズを指名した。この年のドラフトではラインバッカーの ウィル・ウィザースプーン、 デション・フォスターも加入した。ペパーズ、 マイク・ラッカー、 ブレントソン・バックナー、クリス・ジェンキンスのディフェンスラインは優れたユニットであると識者から捉えられ、セカンダリーには マイク・ミンターが座った。ウィザースプーンと マーク・フィールズがラインバッカー陣を統率しチームは7勝9敗、ラッシングディフェンスはリーグ2位となった。

翌2003年はオフェンスの補強が図られて ニューオーリンズ・セインツの控えQBだった ジェイク・デローム、 ワシントン・レッドスキンズのRB、 スティーブン・デービス、カージナルス、ラムズなどでプレイした リッキー・プロールなどが加入した。またドラフトでは リッキー・マニング、 ジョーダン・グロスを獲得した。しかし元選手でコーチとなったサム・ミルズ [7]大腸癌であることが判明したり、マーク・フィールズが ホジキンリンパ腫に罹っていることがわかるなどチームを不幸が襲った。開幕戦の3-17とリードされた第3Qから ロドニー・ピートに代わって登場したデロームの活躍もありチームは逆転勝利、翌週のスーパーボウルチャンピオンの タンパベイ・バッカニアーズ戦では第4Q最後に同点となるタッチダウンをあげられたがポイント・アフター・タッチダウンをブロックしオーバータイムの末勝利した。開幕5連勝を含め11勝5敗でシーズンを終えて7年ぶりにプレーオフに進出した。ワイルドカードプレーオフで ダラス・カウボーイズを29-10で破った後、ディビジョナルプレーオフではラムズの本拠地、 エドワード・ジョーンズ・ドームに乗り込んだ。残り3分で11点リードしていたが、ラムズは マーシャル・フォークがタッチダウンを挙げた後、2ポイントコンバージョンを成功させ、その後オンサイドキックも成功させてフィールドゴールを決め試合はオーバータイムに持ち込まれた。最初のオーバータイムではジョン・ケイシーと相手キッカーの ジェフ・ウィルキンスが共にフィールドゴールを失敗、ダブルオーバータイムに勝負は持ち込まれた。最後はデロームがスミスへ69ヤードのタッチダウンパスを成功させ29-23でパンサーズは勝利した。 NFCチャンピオンシップゲームでは ドノバン・マクナブ率いる フィラデルフィア・イーグルスと対戦した。イーグルスは3年連続のチャンピオンシップゲーム出場であった [8]。イーグルスを14-3で破りパンサーズは スーパーボウル初出場を決めて ニューイングランド・ペイトリオッツと対戦した。ハーフタイムショーでの ジャネット・ジャクソンのハプニングが話題となった 第38回スーパーボウルだったがフットボールファンによるとスーパーボウル史上名勝負の1つと言われた。第1Qは共に無得点で終えた。前半終了間際になっても共に無得点であった。第2Q残り5分から試合が動き、ハーフタイム終了時点でペイトリオッツが14-10でリードした。第3Qは共に無得点に終わったがそこから山場が待っていた。第4Qはスーパーボウル史上最も得点が入り何度も逆転が見られた。第4Q開始早々、QBジェイク・デロームから ムーシン・ムハメドに85ヤードのタッチダウンパスが通り22-21とリードすると、今度はペイトリオッツがタッチダウンの後、2ポイントコンバージョンを成功させて29-22と逆転した。 リッキー・プロールへのタッチダウンパスが通り、残り1分08秒で29-29の同点と試合は振り出しに戻った。スーパーボウル初のオーバータイムに持ち込まれるかと思われたが、ここでキッカーの ジョン・ケイシーはキックオフをアウトオブバーンズとしてしまう痛恨のミス。ペイトリオッツに自陣40ヤードからの攻撃権を与えてしまった。最後はこの試合2度のFGを失敗していた アダム・ビナティエリが2年前の 第36回スーパーボウルの再現となる41ヤードの決勝FGを成功させてペイトリオッツが32-29で優勝した。この年7試合で残り2分以内、オーバータイムに決勝点をあげたチームはカーディアック・キャットと呼ばれた。

翌2004年には目立った補強はされなかったが、マーク・フィールズがホジキン病から復帰した。しかしチームには怪我人が続出、スティーブ・スミスが開幕戦で故障、 クリス・ジェンキンスも第2週を前に戦列を離れてしまいシーズンを棒に振った。14人が故障者リスト入りし、その内ランニングバックが4人も含まれた。最初の8試合で1勝7敗となってしまい、ファンは2001年の悪夢を思い出した。しかしここでフルバックの ニック・ゴーイングスが5試合で100ヤード以上走る活躍を見せると共にルーキーWRの キアリー・コルバート、ディフェンスのがんばりで残り8試合の内、6勝をあげて7勝9敗でシーズンを終えた。

2005年もコート外での騒動に見舞われた。3月には3選手が ステロイド剤を使用しているとレポートが出され、4月にはガンと闘病していたサム・ミルズが他界した。またマーク・フィールズのホジキン病も再発してしまった。開幕戦を ハリケーン・カトリーナの被害を受けた ニューオーリンズ・セインツ戦やロードの マイアミ・ドルフィンズ戦を接戦で落としたが、ペイトリオッツに27-17とスーパーボウルのお返しをし、第7週のバイキングス戦ではスティーブ・スミスが11回のキャッチで201ヤードを獲得、デロームも29本中21本のパスを成功させ341ヤードを稼ぐ活躍を見せるなど、チームはシーズン途中で6連勝をマークしたが、リーグNO.1ディフェンスを誇る シカゴ・ベアーズにわずか3得点に抑えられて連勝はストップした。最終節ではこれまで一度も勝利したことのないファルコンズの ジョージアドームで44-11とチーム創設以来の大差での勝利をものにし、第5シードでプレーオフに進出した。ワイルドカードプレーオフでは敵地 ジャイアンツ・スタジアムニューヨーク・ジャイアンツを無得点に抑え、ディビジョナルプレーオフでは続いて ソルジャー・フィールドでレギュラーシーズン苦しめられたベアーズのディフェンスをスティーブ・スミスの活躍などで29-21で破りリベンジを果たした。しかし勝利の代償は大きく、フォスター、ペパーズを負傷で欠くこととなりNFCチャンピオンシップゲームでは シアトル・シーホークスに敗れシーズンを終えた。

2006年には キーショーン・ジョンソンをオフに獲得した。本拠地 バンク・オブ・アメリカ・スタジアムのチケットも15分で売り切れるほど期待が高かったがスティーブ・スミスやデロームの故障での戦線離脱も途中あり、8勝8敗でシーズンを終えプレーオフを逃した。シーズン終了後、ジョンソンは引退しオフェンス・コーディネーターの ダン・ヘニングは解任された。

2007年デロームが第3週にひじを痛め トミー・ジョン手術を受けるため、序盤で戦列を離れた。代わりに起用された デビッド・カーも背中を痛め、44歳の ビニー・テスタバーディ、新人の マット・ムーアが残り試合で先発QBを務め7勝9敗でシーズンを終えた。

2008年、ランオフェンスの改善されたチームはホームで8戦全勝、12勝4敗で南部地区優勝を果たしてプレーオフではNFCで第2シードを獲得したが翌年1月10日に行われたディビジョナルプレーオフで アリゾナ・カージナルスに13-33で敗れシーズンを終えた。

2009年、オフシーズンにペパーズが退団を希望するなどチームとトラブルになった。開幕からチームは3連敗した。デロームは故障者リスト入りするまでに18インターセプトを喫し、最後の5試合でマット・ムーアが4勝1敗の成績をあげ8勝8敗でシーズンを終えた。この年、 ディアンジェロ・ウィリアムズ、 ジョナサン・スチュワートがそれぞれ1,100ヤード以上をあげた。またラインバッカーの ジョン・ビーソンは自身の持つ記録を破る169タックルをあげた。またジェロームの18インターセプトにも関わらずターンオーバーレシオは+6であった。

2010年、オフシーズンにデローム、ペパーズが退団した。フォックスヘッドコーチ最後のシーズンとなったこの年、チームは 故障者リスト入りした選手がチーム史上最悪の14人となるなど負傷に悩まされ、2001年以来2度目となる2勝14敗に終わった。成績がNFLワーストだったことにより翌年のドラフト全体1位指名権を獲得。 ハイズマン賞受賞選手、QB キャム・ニュートンを迎え入れた。

2011年以後

2011年、この年から加入したニュートンは、開幕から先発QBに指名された。チームはこの年6勝10敗の成績だったが、ニュートンはパスで4,000ヤード超え、ランで14TDを記録 [9]プロボウル最優秀攻撃新人選手に選ばれた。シーズン終了後の1月29日、チームロゴの変更を発表した [10]

2012年は優勝候補ともいわれたが、開幕1勝6敗と躓き、ニュートンのリーダーとしての資質を疑う声も出た [9]。終盤は4連勝を記録したが、最終成績は7勝9敗だった。この年、LBルーク・キークリーが 最優秀守備新人選手に選出。2年連続で新人賞受賞者を輩出した [11]

2013年は序盤こそ1勝3敗だったが、その時点から球団記録となる8連勝を記録し [12]、第16節で地区ライバルである ニューオーリンズ・セインツを撃破してプレーオフ出場を決め [13]、最終戦で アトランタ・ファルコンズを下し、12勝4敗で5年ぶりの地区優勝を果たした [14]。プレーオフは初戦で サンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗退 [15]

2014年はシーズン終盤まで3勝8敗1引分けと大きく負け越していたが、その後4連勝し、7勝8敗1引分けという負け越しの成績ながら、NFC南地区2連覇を果たした。ワイルドカードプレーオフではアリゾナ・カージナルスを27–16で破ったが、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスに17–31で敗れた。

2015年は開幕から14連勝するなど、15勝1敗の好成績を残し、3年連続でNFC南地区を制するとともに、NFC第1シードを獲得した。そして、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスを31-24で破ると、続くNFCチャンピオンシップゲームでもアリゾナ・カージナルスに49–15と圧勝し、2003年シーズン以来12年ぶりのスーパーボウル進出を果たした。 第50回スーパーボウルでは、 リーバイス・スタジアムにて デンバー・ブロンコスと対戦したが、シーズン中に見せた攻撃力をこの試合では発揮することができず10-24で敗れ、初のスーパーボウル制覇は成らなかった。

2016年は開幕戦でスーパーボウルの再戦となるデンバー・ブロンコスと対戦したが20-21で敗れると、前年とは一転して不調に陥り、ニュートンやキークリーら主力の故障も相次ぎ、6勝10敗の地区最下位に終わった。

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