エリニャ

エリニャの紋章

エリニャ(イェリニャ、エリニヤ、 ロシア語: Ельня, Yelnya)は、 ロシアスモレンスク州中部にある都市。スモレンスク高地の南部、 ドニエプル川の支流 デスナ川上流沿いに建っており、州都 スモレンスクからは東へ82キロメートル。 1899年に開通した スモレンスク- スヒーニチ間の鉄道が通る。 エリニンスキー地区の行政中心地でもある。人口は 2002年全ロシア国勢調査で 10,798人(1989年調査では9,868人)。

歴史

エリニャの古い紋章(1780年制定)
イリインスカヤ聖堂
エリニャを流れるデスナ川
エリニャ駅

地名の由来は、ロシア語の「yel」(モミの木)、または「yelan」(森の中の空き地)からと考えられている。

エリニャの町は年代記の 1150年の部分に初出する(別の記録では 1211年から 1218年が初出とも)。この年、 スモレンスク公 ロスティスラフはエリニャに対し、4 フリヴニャとキツネの毛皮一枚を税として課する命令を下している。

エリニャはスモレンスクの地と様々な歴史や運命をともにしている。モンゴル侵攻後は ジョチ・ウルスへの貢納を納め、 リトアニア大公国の伸張によりその支配下に置かれ、 1522年には一旦 ロシア・ツァーリ国の一部に、さらに ロシア・ポーランド戦争後の 1612年には ポーランド・リトアニア共和国の一部になった。 フメリニツキーの反乱をきっかけに、 1654年から 1667年にかけて起こった ロシア・ポーランド戦争の結果、エリニャはスモレンスク県のほかの部分とともにロシア領となった。 1776年、エリニャは正式に市の地位を得て、郡の中心地となった。

1812年フランス帝国ナポレオン1世はロシアに侵攻した( 1812年ロシア戦役)。エリニャは パルチザン運動の重要な拠点になり、ロシアの反攻後は ミハイル・クトゥーゾフの司令部が一時的に置かれた。

第二次世界大戦独ソ戦大祖国戦争)でも重要な戦いの舞台となった。 1941年 8月30日第一次スモレンスクの戦いの緒戦、エリニャは 赤軍によるはじめて成功裏に終わった反攻であるエリニャ攻勢の舞台となった。この戦いの功績で、赤軍の四つの部隊に「 親衛隊」の称号がはじめて付与された。

エリニャがドイツ軍に占領された 1942年、エリニンスキー地区は ドロゴブージ・パルチザン地区の一部となった。エリニャに陣取るドイツ軍は、パルチザンの支配下にある周囲の農村地帯を制圧することはできなかった。1942年3月にはパルチザンはエリニャ市街に攻め入りドイツ兵多数を殺して市街地を解放したが、三日後の3月18日にはドイツ軍の反撃で森へと撤退した。

1943年8月、 クルスクの戦いに続くソ連の反攻の中、エリニャは 第二次スモレンスクの戦いの鍵を握る場所になった。8月30日、ドイツ軍は多くの犠牲を出したためエリニャからの撤退を迫られたが、これがドイツ軍のスモレンスク地方からの全面撤退の始まりになった。9月3日には赤軍はついにドニエプル川の東岸に達した。エリニャ市にも戦後、祖国戦争勲章が贈られている。

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