アンリ・ド・サン=シモン

アンリ・ド・サン=シモン

サン=シモン伯爵クロード・アンリ・ド・ルヴロワ(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon、1760年10月17日 - 1825年5月19日)は、フランス社会主義思想家。

生涯

シャルルマーニュの血統を引くというフランスでも高位の貴族の末裔としてパリに生まれる。宮廷人として必要な教育と軍事教練を経て、16歳でラファイエットの義勇軍の士官としてアメリカ独立戦争に参加し、合衆国の産業階級の勃興に感銘を受けている。既にその当時パナマ運河の建設計画を考案していることをみても、サン=シモンの関心が主として産業と商業の諸問題に向けられていることがわかる。帰国して退役する。フランス革命恐怖政治の時期にはリュクサンブール宮殿に幽閉されたが、1794年に釈放される。晩年は貧困に苦しみ、1823年に自殺を企てている。

サン=シモンの諸説は後代の社会主義学説の発想をほとんど含んでいて、生前は認められなかったが、弟子の アンファンタンとバザールなどによって、サン=シモン主義と称する半ば宗教的な教説として世界の社会思想に影響を与えた。サン=シモンの社会研究の態度は高弟コントに受け継がれ、実証主義社会学として結実した。

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